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舞乙女(慶舎)

 秦の大后は以前、邯鄲の宝石と呼ばれていたらしいが、ならば今舞台の上で舞い踊る中華・名字中華・名という人物は、なんと呼ぶのが相応しいだろうか。花や蝶ではありきたりだ。値する形容詞が思い浮かばない。
 とにかく、私は両手に扇子を華やかな持ち、ひらひらと踊る中華・名の姿に見とれていた。真っ白な肌に真っ赤な紅が映え、舞うたびに艶やかな髪も踊る。

「珍しいですね」
「…珍しい、とは?」

 李牧さまはとぼけるように笑い、視線を舞台の上に向ける。どうやら私は見とれすぎていたようだ。李牧さまは私の感心が、中華・名にばかり注がれていることを、とうに見抜いていらっしゃった。

「そんな顔をしなくても。私は慶舎が女性に興味があってよかった、と安心しましたよ」
「私は男色の趣味があると話したことなどありません」
「そうでしたか? ああ…カイネ、慶舎に酒を」

 李牧さまの付き人であるカイネは、既に酔いつぶれていて、座布団の上に倒れ込んでいる。叩き起こせばいいものを、汗で貼り付いた前髪を優しく撫でると、私の盃に酒を注ぎ始めた。
 李牧さまにそのようなことをさせるわけにも行かないが、止めるのも失礼かと考えた私は、ありがたく李牧さまのご好意に甘えることにした。
 盃に口をつけ、横目で中華・名の舞を見る。瞬間、目が合った。

「!」
「……」

 時間にしてほんの一秒ほど。もしかすると一秒もないが、私には永久に感じられるほどだ。
 中華・名と目が合った私は、まるで雷に打たれたかのような感覚を覚えた。笑った…、のか? 私を見て? それはどういう意味だ? 嘲笑とは受け取れぬが…。様々な考えが頭をめぐる。

「あのー、慶舎」
「っ、はい」
「盃から酒がこぼれてますよ」
「!!」

 徐々に正常な感覚を取り戻すと、衣服が濡れていることに気付く。特に気に入っている服ではないが、濡れたままというのも不快であるし不格好だ。中華・名の舞も終わってしまい、気がつけば舞台では別の舞妓が踊っていた。ならばここにいる意味などあまりない。何より早く着替えたいため、李牧さまに挨拶をしてその場を去った。
 外の冷たい空気は気持ちが良い。涼みながら中華・名の事を思い出していた。舞妓はただ催し物に呼ばれただけだろう。また会える可能性は低い…と、考えていたが、予想だにしない早さで、私は中華・名と再会する事となる。
 それは李牧さまと次の戦について、作戦会議を行っていた際のことだ。

「…という作戦は如何でしょうか」

 李牧さまの作戦には非の打ち所がなく完璧だ。私も他に様々な型を考えてみたが、やはり李牧さまの案が最善だろう。

「簡単に見えますが、いざ実行するには有能な兵が必要です。そこで私に提案があるのですが」
「お言葉ですが、李牧さま。兵は私の私兵で十分かと」
「まあ…最後まで聞いてください。中華・名を慶舎の配下に加えようと思いましてね。中華・名、こちらへ」

 驚く暇もなく、扉の向こうから中華・名が姿を見せた。

「本日より慶舎さまにお仕えさせて頂きます、中華・名字中華・名と申します」
「……お前、ただの舞妓ではなかったのか」
「舞は舞妓である母に少し教わりましたが、ほぼ独学です」
「舞妓の娘…剣はどこで教わった。中華・名字家という武家は聞いたことが無い」
「私の祖父が城にお仕えする兵士でした。幼いころ教わり…それから特に師は…」
「慶舎。そんなに険しい顔をしなくても。中華・名中華・名です、あなたの剣の師は私、と言っても過言ではありませんよ。中華・名の腕は私が保証します。それでも納得できないのならば、手合わせをしてみれば良いでしょう」
「わかりました。…では中華・名、行くぞ」

 李牧さまは私に「頑張って下さいね」と耳打ちし、私に中華・名と訓練所で手合わせするよう促す。何も中華・名の腕を疑っているわけではないが、まさかただの舞妓ではなく、戦兵だとは思わなかった。この作戦に組み込まれるということは、李牧さまからの信頼も厚く、腕も確かということなのだろう。私の配下にしたのは李牧さまの配慮、といったところか。
 訓練所に到着し、私は中華・名と対峙した。舞妓の時とは随分と違う表情で私を見つめる中華・名。戦うにしてはあまりにも衣服が薄く、体を守る鎧の面積が少ない。

「殺すつもりでかかってこい」
「はい!」

 中華・名が腰に携えた鞘から曲刀を抜き、構えを取る。少し腰を落とした後、素早く私との間合いを詰めた。すぐに私も剣を抜いて、それを受け止め驚く。思ったより重い一撃だ。しばし剣を交え、中華・名の力量が計れた所で私は手合わせを終わらせた。

「ありがとうございました。あの…慶舎さま。私を認めていただけますか?」
「ああ」

 中華・名の顔が綻ぶ。それを見た途端、煩いくらいに脈打つ私の鼓動。
 先日の舞では赤い紅をさしていたが、今は薄い桃色の紅をさしており、それがまた受ける印象を違わせているのだと気付く。そんな彼女に見とれていた。

「…慶舎さま? やはり私なんかでは、慶舎さまの配下に相応しくないでしょうか」
「いや、そういうわけではない。少し考え事をしていた」
「そうでしたか」

 中華・名は安堵したように息を吐き、他の兵の邪魔にならぬよう端へ行き座った。私もそれに続き座り、隣の中華・名を何気なく見つめる。しばらくは顔の汗を拭いていた中華・名が、私の視線に気付く。

「どうかしましたか?」
「何もない。ただ…」
「ただ?」
「見とれていた」

 中華・名の美しい瞳が見開かれていく。真っ白な肌も赤く染まった。舞妓をしていれば言われそうなものだが、慣れていないのだろうか。

「そ、え? あ、ありがとう…ございます」

 消え入るような声で、語尾はほとんど聞き取れなかった。

「面と向かって言われたのははじめてです。なんだか…とても、照れますね。ふふふ」

 はにかんだ笑顔も、初な反応も、私を見つめる宝玉のような瞳も、全てが愛おしい。まるで心が満たされるような不思議な感情を抱いた私の手が、無意識に伸びた。手に入れたい。そう思った。
 しかし…伸ばした手を、中華・名はスッと避け、私の手は行き場を失う。

「ご、ごめんなさい。私…触られるのは、苦手で…」
「……」
「決して慶舎さまが嫌だとか、そういうわけではないのです」

 手をじっと見つめると、中華・名はもう一度「ごめんなさい」と呟いた。…堪らない。その汚れのない体と心を、思い切り汚してやりたいという歪んだ感情が芽生える。

中華・名が武功を立てるのが楽しみだ」
「はい。全力を尽くします」

 私は立ち上がり、中華・名に背を向けると歪んだ笑みを浮かべてその場を後にした。

 数日後、私は背後に私兵を、隣に中華・名を従えて戦場へ向かっていた。休みなく進み、到着したのは数日後の夜で、馬や兵の疲れもあり、開戦は明朝からとなる。私は明日の作戦会議と称して、中華・名を自身の天幕へ呼び出した。
 机の上には二つの水筒がある。一つは普通の水だが、一つは強力な催眠作用のある薬草を混ぜた水だ。何も知らない中華・名は無防備にも寝間着姿のまま姿を見せた。至って普通に作戦の確認を進め、途中水筒を差し出す。中華・名はそれを受け取ると、なんの疑いもなく口をつける。

「ん…? 慶舎さま、この水少し変な味がします。腐っているかもしれません」

 本来は連日の戦いで不眠に陥った兵士が少量飲むもので、やはり薬草なので独自の味がする。すぐに目を覚まされては困るため、通常より多く水に混ぜた故、味を強く感じるのだろう。

「……」
中華・名

 効果は、丁度会議を終える前に見え始めた。中華・名は立ったまま体を前後に揺らし、今にも眠りに落ちそうだ。しばらく様子を伺っていると、糸が切れたように倒れ込み寝息を立て始めた。
 私は中華・名の体を抱え、枕に頭を乗せて腰巻きを外す。細くて白い腰が見えた。外した腰巻きを使い、中華・名の両手を頭の上で重ねるときつく縛った。衣服がはだけ、晒を巻いた小さな胸が見える。

「くく…」

 明日のことを考えると思わず笑いが溢れる。狙った獲物は逃さない。気持ちよさそうに寝息を立てている中華・名の隣で、その夜は就寝した。
 朝が訪れても、中華・名は目を覚まさない。触れたり、声をかけた所為で目を覚まされても困るため、静かに支度を整え、戦場へ赴いた。
 簡単に決着がつくだろうと思っていたが、李牧さまが仰っていた通り、相手もなかなかしぶとい。しかし私は部下に指示を出し、ゆっくりと、確実に敵の兵を、将を殺していく。だが敵国の兵は数が多く、すぐに決着がつきそうにもない。そもそも戦いとはそういうものだが。
 日が暮れた頃、私は撤退命令を出した。食事はいい、と告げて天幕へ入る。お楽しみの時間だ。

 中華・名の上に覆いかぶさり、首元に顔を埋めた。女特有の甘い匂いに目眩すら覚える。私は女の経験がないわけではないが、豊富というわけでもない。しかし中華・名の匂いは、今までのどの女より官能的だった。首筋に唇を押し当て肌を味わっていると、中華・名が小さく息を漏らす。

「ん…、ん? え?」

 私は首筋から顔を上げ、じっと中華・名の顔を見た。驚愕、というより、まだ状況を飲み込めていない様子だ。

「慶舎さま…? いくさ、は?」
「初日は私の軍が有利な状況で終わった」
「初日…、私は眠って…? も、申し訳ございません」
「構わん。だが戦の初日に眠りこけたその責任は取ってもらうぞ」
「そんな…! 私、何かおかしっ…ぅ!」

 強引に中華・名の唇に私の唇を重ねる。やっと状況を理解したのか、中華・名は随分と暴れ抵抗したが、私の力に敵うはずもなく。悔しそうに私を睨みつけ、しかし目尻には大粒の涙を浮かべる姿は扇情的で私は酷く興奮した。

「面倒だ。切るか」
「!」

 晒を取るのが億劫に感じた私は、護身用の小刀を晒に宛てがった。暴れていた中華・名も、小刀押し当てるとどうなるのかわかったのだろう。ピタリと動きを止めた。
 晒を切り、左右に広げて乳房を露出させると、中華・名は顔を真っ赤に染めた。口では嫌だとか、やめてくれと言うがじっくりと性感帯を愛撫すれば、やがて甘い息を吐き身を捩り始めた。
 中華・名の体が良くなってきたところで、私は衣服を脱ぎ男根を女陰に添えた。

「ひっ…慶舎さま、お願いします…やめてください」
「断る。先程、私は責任を取らせると言ったはずだが」
「なんでも言うことを聞きます。だから…」
「なんでも?」
「はい…」

 一瞬動きを止めた。勿論、中華・名の交渉に乗るつもりなど毛頭ない。少しの希望を見出した中華・名の瞳。その瞳が、恐怖と、絶望に染まる瞬間が楽しみだ。私は、ふ、と笑う。中華・名の表情も少し和らいだ。

「ならこの状況を受け入れることだな」
「ッあああ!!」

 中華・名の中へ一気に挿入した。そんなことをすれば女は痛がるとわかっているが、全く馴染まず、いつまでも痛がる中華・名を不思議に思い、結合部を見て納得した。
 純血の血が混じっていたからだ。これだけの美貌を持つ女─中華・名─が乙女─処女─だったとは。

「ハハハ…! どんな気持ちだ、中華・名
「うう…」

 思っていた通り、中華・名の瞳は恐怖と絶望に染まっている。だが、それでも尚…中華・名は美しい。
 中華・名の中は先程まで純血を守っていた体にふさわしく、とても窮屈だった。昨晩から我慢していた私も、長くは持たなさそうだ。

「痛い、痛い…!! どうして…うう」
「っ…中に、出す」
「!」

 虚ろな瞳で私を見ていた中華・名の瞳が見開かれる。何を言いたいかは予想がつく。

「な」

 私は中華・名の言葉を遮る。

「中はやめてください、と? 私がそれを受け入れる…とでも? フ、私の子を孕めば更に面白いことになるな! う…ッ」
「いや、いやああ!」

 腰を打ち付け、中華・名の中で果てた。昨晩しなかったせいか、随分と大量に出たのがわかった。

「いや、いや、いや!! 今すぐ抜いて!!!」

 やはり中華・名は舞ってこそだ。身を捩り泣き叫ぶ中華・名の姿。その髪が、汗が。初めて会ったときのように、美しく舞っていた。

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第一話 帰国

 約一ヶ月に及んだ情報収集の任を経て、私は帰国の途についていた。
 ああ…早く殿に会いたい。私は逸る気持ちを抑えられない反面、とても憂鬱だ。原因は…、ああ、考えただけで頭が痛い。

中華・名さま、顔色が優れませんが具合でも悪いのでは…」

 私が殿と趙を出る際に私兵として連れてきた、中華・名隊の副将・里丁(りてい)が心配そうに私の顔を覗き込む。「大丈夫」と簡素な返事をして、ようやく前方に見えてきた魏の城壁に安堵した。

「以上が此度の遠征で得た情報の全てでございます」
「了解した。長旅ご苦労であったな。下がって良い」
「は、失礼致します」

 報告が無事に終わり、私はふうっと息を吐く。やっと緊張の糸がほぐれた感じだ。あとは殿に会うだけ、と歩き出す。が、そこに”奴”はいた。

「わはー! 中華・名ー!」

 物陰から飛び出し、私に抱きつこうとした”奴”こと輪虎をさっと交わす。輪虎が体勢を立て直す前に、さっさと行こうと思ったけど、輪虎は私の左腕にガシッと抱きついてきた。

「ほら、中華・名。いつもの」
「…一応聞くけど、いつもの、って何かしら」
「くちづ…って、まだ話は終わってないよ」

 話の途中で歩き出した私を、駆け足で追いかけてくる輪虎。

「やめて、疲れが増す」
「なら後でのお楽しみにとっておこうかなー。中華・名はこれから殿のところへ行くんでしょ?」
「勿論よ! 殿に会うことだけを楽しみに帰ってきたんだから」
「あれっ、僕は?」

 この一月のことを思い出してみるけれど、輪虎のことを考えたのはほんの僅かな時間だけ。それも輪虎のことだけを考えただけではなく、言っては悪いが殿のことを思い出すついでに考えただけだ。

「…全くなかった、ってわけじゃないけど」
「僕は中華・名がいない間、寂しくて寂しくて訓練にも集中できな…もー、中華・名!」

 先に述べた「頭が痛い」原因は彼にある。
 元は趙の将軍で、今は魏の将軍である廉頗さま…が、絶大なる信頼を寄せる「廉頗四天王」が一人、飛槍とまで言われる輪虎。彼のことを慕う兵は多いし、思いを寄せる女性も大勢いる。何せ輪虎は将軍としてかなり腕が立つ。私より遥かに強い。そして端正かつ中性的な甘い美貌。
 実力あり、容姿よし。女性に人気が出るのも頷ける。なのに…何故か、輪虎は私に好意を寄せていて。

「僕も殿のところへ行こうかな」
「まあ、ご自由に」
「なんて、少しでも中華・名と一緒にいたいだけなんだけど」
「そう」

 とりあえず輪虎を左腕から引き離し、殿の屋敷に向かって歩き出す。輪虎は機嫌が良いようで、鼻歌まで歌っている。通りすがりの乙女が頬を染めながら輪虎の名前を呼ぶと、輪虎はひらひらと手を振って「はいはい」と返事をした。
 しかし輪虎がべったり私にくっついているものだから、これでは傍から見れば恋人同士だ。それも、将軍同士の。乙女はすっかり意気消沈して、私と輪虎が通り過ぎるのを惚けた顔で見ていた。代われるものなら代わりたいくらいだ。

「あは、誰がどう見ても僕たちはお似合いの恋人同士だ」
「いいえ、仲の良い将軍同士にしか見えないわ」
中華・名は相変わらず冷たいなぁ」

 私にべったりの輪虎に辟易することもあるが、好都合な点もある。私は特に優れた美人ではないけれど、地位のせいか言い寄ってくる男性は少なくない。でも輪虎が隣にいれば、睨みを効かせてくれるおかげで、その数はぐっと減るのだ。それでもしつこい奴はいるものの、輪虎が隣にいる時といない時では雲泥の差…などと考えている間に、殿の屋敷に到着した。

「これは輪虎さま、中華・名さま! 廉頗さまにお会いに来られたので?」
「そう。殿はいらっしゃる?」
「は、広間におられます。どうぞお通り下さい」

 見知った門番と挨拶を交わし、中に入る。私は何度も廊下を曲がって、広間を目指した。

「殿! 中華・名、只今戻りました」
「ついでに僕もいまーす」

 寝転がり、書物を見ていた殿は起き上がると、私と輪虎を見てニィと笑った。

「おお、中華・名か! 怪我は…当然ないだろうのォ」
「当然です。かすり傷一つございません」
「うぬの事だ、報告を終えて真っ先に儂のところに来たな?」
「それも当然です」
「ヌッハッハ! よっぽど儂のことが好きなんじゃのォ。 悪い気はせんわい。しかし…輪虎、うぬはまた中華・名の尻を追っかけまわしとるのか」

 殿は輪虎を見て苦笑いを浮かべる。しかし輪虎は意に介さず、にへらーと笑った。

「やだなー、当たり前じゃないですか。僕の妻に何かあったらどうするんです?」
「お? うぬらようやく結婚か?」
「今日は二人でその報告に来たんですよ」
「そんなわけないでしょう、輪虎! 殿、違います。全くの出鱈目です」
「…中華・名、少し話をするか。輪虎、少し席を外せ」
「それは命令ですか?」
「まあ、そうとも言うな」
「…いくら殿でも、中華・名と二人きりにするのは嫌だなあ…少しだけですよー?」
「わかっとるわい」

 殿は輪虎だけでなく、衛兵まで廊下に追いだし、私と二人きりの空間を作った。二人きりになると、殿の迫力に圧倒される。やはりこの御方は凄い。

中華・名。輪虎のどこが気に食わん」
「…別に気に食わないというわけでは…」
「輪虎はいい男だ。戦の腕も頭脳も文句なし。儂には劣るがのォ! ワハハ! それに心ッッ底
うぬに惚れておる。女はそうやって愛されるが今生の幸せよ」
「……」

 私だって輪虎のことが嫌いというわけではないのだ。ただ…ただ、好意を抱いているのは恐れ多くも殿で、玄峰さまのことは尊敬しており、介子坊は飲み仲間、姜燕…そして輪虎は馴染みの戦友といった思いしか抱いていない。

「それに、中華・名と輪虎の間に赤子が産まれれば、そやつは必ず将来大物の将軍になるぞい」
「確かに輪虎と結婚し、赤子を産み、我が子を立派な将軍に育てることも喜びの一つでしょう。でも私にとっては…おこがましいと思われるかもしれません、殿の手となり足となり、戦へ出向き槍を振るうほうが幸せなのです」
「フーム、何度かこの話はしておるが、平行線じゃのォ。今日のところはこの辺で勘弁してやるか。一ヶ月に渡る遠征ご苦労」
「では失礼いたします…の前に、一つ聞いていただきたいことがあるのですが…」
「ん?」
「無礼を承知でのことです、裏から出ても…よろしいでしょうか」

 殿がヌハハと笑い承諾すると、私は足音を忍ばせて裏門から屋敷を出た。
 しばらくしたところで、ふうと息を吐き後ろを振り返る。どうやら輪虎はいないようで、ほっと胸をなでおろす。そこからは歩く速度を落とし、ゆっくりと帰路についた。

「おかえりなさいませ、中華・名さま」

 私の屋敷で世話係を頼んである、癒呂(ゆろ)バアが私に頭を下げる。元は殿の身の回りの世話をしていた癒呂バア。殿に拾われた際、女には女の世話人が必要だろうと、殿が充てがってくれた。

「ただいま、癒呂バア。お風呂に入りたいの、支度してくれる?」
「風呂の用意は出来ております。いつ中華・名さまがお帰りになられても良いように…」
「さすが癒呂バアね。入ってくる。悪いんだけど、お腹も空いてるから食事の支度もお願いね」
「はい、お任せ下さい」

 久しぶりに見る、癒呂バアの優しい笑顔に心が温かくなる。
 脱衣所へ到着すると、私はフンフンと鼻歌を歌いながら腰帯をしゅるしゅると解いていく。この歌は、癒呂バアが子守唄でよく聞かせてくれた。脱いだ服は綺麗に畳んで棚に置き、風呂の引き戸を開けた。

「やあ、中華・名
「っ…」

 何故か殿の屋敷へ置き去りにしたはずの輪虎が、私の屋敷で風呂に入っていた。それも、かなり気持ちよさそうに寛いで。咄嗟に手拭で体を隠したけど、もしかしたら見られたかもしれない…。

「ど…っ、どうして輪虎がいるのよ!! ここは私の屋敷よ?!」
「癒呂さんに門を開けて、って言ったら入れてくれたんだー」
「そりゃそうよ、癒呂バアが輪虎の言葉に逆らえるはずないじゃない! …とにかく、上がって」
「え、今?」
「今すぐよ!」

 ざばっ、と輪虎が湯船から立ち上がる。私は目を丸く見開いて硬直した。

「き、きゃああああ!」
「あ」

 素っ裸の輪虎を見て、恥ずかしさの余り私は手で目を覆う。そのせいで体を隠していた手拭がはらりと落ち、あろうことか今度こそ輪虎に裸体を晒すことになってしまった。

「わはー、思わぬご褒美だ」
中華・名さま?! 如何なされましたか、中華・名さま!!」

 脱衣所の向こうで、慌てた癒呂バアの声が聞こえた。戸を開けられそうになったため、私は慌てて戸を抑える。

「何でもないの、ただ躓いただけ!」
「そうですか…悲鳴が聞こえたので、何事かと…。お背中お流し致しましょうか」

 輪虎に裸体を見られた恥ずかしさより、まるで輪虎と一緒に風呂へ入ろうとしているかのように見える、この状況を見られることのほうが厄介だ。癒呂バアは輪虎に好意的だから、余計に。

「輪虎、やっぱりお風呂に浸かって。あっち向いててちょうだい」
「え、いいの? 一緒に入るってことだよ」
「いいから。癒呂バア、私はあなたの手料理が食べたいの。それにお風呂は一人でゆっくり入りたいわ」
「かしこまりました。この癒呂、腕によりをかけて中華・名さまのお食事を作らせていただきます」

 輪虎は再び湯船に浸かり、私は彼の体を見ないように、目を逸らしながら湯船のお湯を桶に掬って体を流す。そして足からゆっくり湯船に入った。輪虎に背を向けて座る。

「アハ、中華・名の体綺麗だったなあ」
「まさか輪虎が私より先に屋敷へ帰ってるとはね…」
「この僕を出し抜けるとでも思った? 中華・名の考えることなんてお見通しだよ。戦いは相手の先の先を読まないと、ね? 殿や玄峰さまに、そう教わったでしょ」

 輪虎の勝ち誇った顔が容易に想像できた。確かに、私の詰めが甘かったことが原因だ。

「そうね」
「…ねえ」

 トン、と背中に手の感触。紛れもなく輪虎のものだ。そしてその手が触れている場所は、私が戦へ出るようになってすぐの頃、飛んできた矢が刺さった傷跡のある所。

「…何?」
「殿は何と?」
「別に。遠征に労いの言葉を下さっただけよ」

 輪虎が傷跡を撫でる。もう痛みがないとはいえ、そこを撫でられると少し不快だ。文句を言おうとした瞬間、輪虎は私の背中に胸板をぴったりとくっつけ抱きついてきた。腕は私の肩を抱き、左手で貫通した傷跡を覆っている。

「やっぱり、いくら相手が殿でも妬いてしまうな。あは、僕って相当嫉妬深い。ねえ、中華・名。この傷を負った時のこと、覚えているかい」
「ええ、私が敵将を狩るのに必死で矢に気づかなかった時のものね。忘れないわよ」
「僕も忘れたことがない。大切な中華・名に傷をつけるなんて…まあすぐ殺したけど」

 その時のことを思い出したのか、輪虎の声に憎しみと怒りが宿った。それから若干の殺気。輪虎の殺気はいつも鋭くて、未だに慣れない。ところで、私は先程から一つ気になっていることがある。

「輪虎」
「うん?」
「…その、下半身が…当たって…るんだけど」
「わは、バレた?」
「そりゃあね…大層お元気なようで」
「だって中華・名とお風呂に入ってるんだよ? 普通の男ならこうなるよねー」
「上がるわ」
「えーっ、もう?! これからがお楽しみなのに」

 輪虎の手を振り払い、手拭で体を隠しながら脱衣所へ駆け込んだ。後ろから「僕も上がるー」って声が聞こえたから、私は大急ぎで服を着て廊下へ出た。癒呂バアの作る食事の匂いが、廊下にまで届いていて私のお腹がぐうと鳴る。遠征中は質素な食事しか出来ないため、久しぶりのきちんとした食事ができそうだ。

「あら、中華・名さま…もうお風呂はよろしいので?」
「ええ、お腹も空いているから」
「申し訳ございません、すぐにご用意いたしますので」
「お願いね」
「ああ、そういえば。先程輪虎さまがお見えになったので、お通し致しました」
「…知ってるわ、さっき会ったから」
「そうですか。輪虎さまはお帰りになられたのですか?」
「さあ?」

 お風呂からは上がっただろうけど、その後のことまでは知らない。屋敷内をぶらついているのか、
帰ったのか…。
 私が座布団の上で料理が来るのを待っていると、ふーという息と共に輪虎が広間に入ってきた。

「…まだいたのね」
「え、ダメかな」
「まあいいけど」
「これはこれは輪虎さま。よろしければ、輪虎さまも如何ですか?」
「癒呂さんの料理かあ、懐かしいから食べたいけど…このあと用事があるから、僕はそろそろお暇するよ」
「左様でございますか…では、またお時間のある時に是非いらして下さい」

 輪虎は湯上がりのせいか、ほんのり頬が紅かった。肌が白いから、なんだか妙に色っぽい。しかし私は、次に輪虎が発した言葉に耳を疑った。

「家も隣同士になったことだし、いつでも来れるからね。中華・名、それじゃあ」
「ちょっと待って」
「ん? もしかして寂しい?」
「違う。隣同士ってどういう事かしら。輪虎の屋敷はここから半刻以上はかかるはずよ」
「あー、そっか。中華・名は遠征中だったから知らないんだよね、ごめんごめん」
「…?」
「僕、引っ越ししたんだよ。中華・名の屋敷の隣に、ね」
「…な!」

 輪虎がにこりと笑う。そういえばさっき、隣に大きな屋敷が見えたけれど、まさか輪虎が引っ越してきたとは…。
 ─この日から、私と輪虎のお隣さん生活は始まったのである。

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