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「…名前…?」 名前と光世は思わぬ場所で再会を果たした。 「えっと…はい、元気です」 一歩、光世が名前に向かって足を踏み出すと、名前はじりっと後退する。また一歩近づいても、彼女は後ろに下がっていく。 「そんなあからさまに避けなくても」 久しぶりに見る名前の愛らしい表情や、伸びた髪の毛に気を取られていたが、よく見てみると名前は白衣を着ている。 「元気そうで何より。あれから何してた?」 何の仕事なのかと問おうとしたが、名前はペコリと頭を下げるとその場を走り去ってしまった。 (やっぱり…、俺の側にはいてくれないんスね…) 「師匠~!」 ふいに背後から明るい声で「師匠」と呼ばれ振り向く。そこには愛弟子のコスモが大きな骨付き肉を片手に手を振っていた。 「これ食べてさ、ギリギリまでトレーニングしたい…って、どうしたの? なんか元気ないね」 コスモは肉にかぶりつきながら、しかし心配そうな表情をして光世の顔を覗き込む。 「昔の彼女がいたからびっくりしてただけー。コスモはそんなこと気にしなくていいの」 トーナメントに向けては、多くの闘技者がギリギリまで調整を行っている。コスモもその例には漏れない。名前の事を話すかどうかはともかく、光世はトレーニングのために場所を移し、コスモと共にスパーリングを行った。 「ねえ、師匠。名前さんってどんな人?」 光世はかつて恋人だった名前の事を思い出す。 『名前は女の子なんだしさ、俺と結婚しちゃえばいいのに』 半分冗談、半分本気で、そんな言葉を名前に伝えたことがある。 「…ってことで、ああ、お別れなんだなと。さっきも逃げるように走っていったし」 よくよく過去を思い出す。確かに、さよならというメールが来たわけでも、電話が来たわけでもない。でもきっと名前の性格上言えなかったのだろう、と光世は考えていた。 「これは大人の話だから。はい、名前の話終了!」 ぶーと頬を膨らませたコスモの頬を指でつついた後、トレーニング終了を告げて、気を紛らわせるために酒を買い込んで部屋に戻った。 ・・ 「はあ…」 仕事を終えた名前は、Tシャツにショートパンツというラフな格好で海が見える木の下に座っていた。 (もっと話しがしたかったのに…暮石さんに、今の私をしっかり見てもらいたかったのに…。私のバカ) 思わぬ再会と考えるのは少々語弊がある。 泣いてばかりで、職を転々としていたあの頃とは違う。 ・・ トーナメント中日。 「ふう…」 冷たい風が心地良い。仕事内容には慣れてきたが、客との会話は未だに慣れない。 いつでも強く、優しく、泣き虫な自分を抱きしめてくれた。きっと今は新しい彼女がいるのだろう。そう考えると胸が締め付けられた。 「…暮石さん…」 予想もしていなかった光世の声と共に、頬にひやりと冷たいものが触れ、名前は小さく肩を震わせた。驚き振り向くと、そこには名前の目線まで腰を落としてニカッと笑う光世の姿があり、名前はぱくぱくと口を動かす。 「な、なん…」 あまりの驚きに言葉が出てこなかった。 「俺のこと、呼んだでしょ? はい、これ」 変わらぬ笑顔の光世が名前に差し出したのは、ちょっとマイナーなメーカーの紅茶だ。かなり甘みの強い紅茶で、飲む人を選ぶものだが名前の大好物だった。 「俺の記憶では…─、名前は紅茶ならこのメーカーが一番好き。でしょ? まさかここにあるとは思ってなかったスけど」 おずおずと受け取った名前は、目で「飲んでもいいの?」と問いかける。光世が頷くと、キャップを開けて一口飲み込んだ。あの砂糖がたっぷり入った、ちょっと体に悪そうな甘みが口いっぱいに広がる。 「…覚えてて、くれたんだ」 光世はそう言うと、自らが羽織っていたパーカーをそっと名前の肩にかけた。ふわっと光世の香りとぬくもりを感じると、名前は懐かしさと心地よさに目を細める。 「…何これマッズ! 商品としてアリなのこれ?! カレーへの冒涜ッス…」 名前には想像もつかないが、多分癖にはならない味なのだということは理解できた。 「ふふ…暮石さん、変わらないね」 光世はカレースパークリング飲料を隣に起き、キャップを締めながら、独り言のように空に向かって呟く。 「…彼氏なんていないよ。ずっと勉強して、仕事に必死だったから。暮石さんこそ、変わらない。相変わらず優しくて、楽しくて…かっこいい」 光世がおどけて笑うと、名前は俯いてしまった。 「私ね…暮石さんに甘えてた。真剣に考えてくれてたの、わかってたのに。でもね、恥ずかしかったの。格闘技も、仕事も、暮石さんは自分というものをしっかり持ってるのに、私は職を転々として…いつも泣いてばかり。だから、暮石さんと釣り合わないと思ったの。釣り合う女性になりたくて、必死に勉強して続けられる職にはつけたけど…独りになってた。待っててくれるなんて、なんで思ったんだろうね。私って馬鹿だなあ」 名前は体育座りをして、足を引き寄せ腕を膝の上に置くと、その隙間に顔を埋めた。 「俺は名前にフラれたと思って。すごーくショックだったな。ほんと、バカだよ、名前。…俺はずっと待ってたのに」 名前は少し顔を上げて、横目で光世の顔を一瞬見ると、また俯いて消え入りそうな声で述べる。 「あれ? その反応、俺、今度こそ振られたス?」 慌てた様子で上げた名前の顔を、光世が優しく大きな手のひらで包み、額同士をコツンとぶつける。緑色の瞳が、名前の目に映った。それは、数年ぶりの光景だった。 「資格も何も。俺は昔も今も名前のことが大好きなんだけど? 考えない日はなかった。どうして俺の前からいなくなったんだろうとか、どうしたら側にいてくれたんだろうとか、毎日考えて。名前以外の彼女とか考えられないしって思ってたら、長年独り身でこの歳ッスよ? 寂しいのなんのって。…責任、とってくれるッス?」 名前の頬が紅潮し、目が泳ぐ。光世はもう一度こつんと額をぶつけ、名前の視線を自分に向けた。 「そういうこと」 じわり、と名前の目尻に涙が浮かぶ。 「あっ! 泣き虫なのは変わってないスねー、ほーら、よしよし」 迷子だった子犬がやっと飼い主の元に戻ったように、名前は光世の体に抱きつき、泣きじゃくった。光世はそんな名前の体をしっかり受け止め「もう絶対に離さない」と強く抱きしめ返すと、永久の愛を誓う言葉を名前に捧げた。 |
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2021.7
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