カテゴリー: 好奇心は彼をも殺す

第一話 不思議の森

「じゃあねー、名前! また明日!」
「また明日ね」

 いつもと同じ店で、いつも一緒にいるクラスメイトといつもの話題で盛り上がり、いつもの場所で別れる。
 変わらない毎日。
 変わらない学校生活。
 変わらない話題。
 変わらない挨拶。
 変わらない帰り道。
 何も変わらない毎日というのは、ある意味では幸せで、きっと平和であるという証なのだろう。しかし、生まれつき好奇心旺盛で、退屈な事が大嫌いな名前にとっては、そんな毎日は心からつまらないものであった。

「はあ、何か変わったこと起こらないかな」

 唇を尖らせ、何気なく足元に転がっていた小石を蹴飛ばす。小石は小さな音を立てて転がっていく。そして当たり前の方に動きを止めた。
 名前は、退屈そうにその様子を眺めていた。
 ふ、と視線を上げて遠くを見る。名前は視力が良いため、遠くはよく見える。故に、それもはっきりと目視することができた。
 どこにでもある、雑木林。毎日ここを通って学校へ通っているはずだが、意識をしたのはこれが初めてだ。
 直に日が沈む。小さな雑木林だが、夕方という時間だ。もしかしたら、何か面白い事が起きるかもしれない。例えば、オカルト的な何かが…、だ。

「行ってみよっかな」

 さしてオカルトに興味があるわけではなかったが、退屈しのぎにはなるだろう、と名前は雑木林に向かって歩き出した。
 入り口に立ってみると、小さいと思っていた雑木林だがそれなりに大きいことに気付く。足元には枯れ葉が落ちており、名前が一歩踏み出すとガサガサと騒がしく音を立てる。
 ぽっかりと空いた雑木林の入り口はまるで異界への入り口のようにも見えた。

「何かあったりして。ふふ!」

 一歩、また一歩と歩みを進める。それなりに人は通っているのか、道のようなものはあった。

「なんか子供の頃を思い出すなあ。こんな何もない林でも、遊びの場にはうってつけだったよね」

 誰に言うでもなく呟くと、冒険気分で辺りを見渡す。陽は徐々に傾き始め、辺りに暗闇が広がっていく。だがまだ視界を奪われる程ではない。名前は機嫌よく進んでいった。
 やがて進んだ先に、小さな石碑が立っていることに気がつく。

(こんな所に石碑…? 何が書いてあるんだろう)

 名前は石碑に駆け寄ると、書かれている文字を読もうと試みた。
 しかし、それは日本語のようにも外国語のようにも見え、もしかすると達筆すぎて読めないのかもしれない、と名前は考えた。

「ウルド…」

 名前の口から、自然とその言葉が溢れる。何故、その名が口をついて出たのかは彼女にもわからない。ただ、ウルドの名を口にしたその瞬間、これから辺りを包むはずの闇とは正反対の光が名前を包んだ。

「きゃ?!」

 思わず後ずさり、小石に躓いて尻もちをつく。反射的に目を瞑ったが、ゆっくり開けると光は消えており、辺りは静寂と闇が広がっていた。

「な、なんだったの」

 立ち上がりながらスカートに付いた枯れ葉をはたき落とす。
 何か変わったことが起こったのかとも思ったが、見渡す限り特に何もない。
 なんだ、と心の中で舌打ちをすると、名前は雑木林の出口に向かって歩き始めた。

 ふと、前方から人の気配を感じた。もう空は大分と暗い。時間的には遅いが、人が通る可能性はまだ十分にある時間だ。挨拶くらいは交わしたほうがいいだろうか。名前はそんなことを考えながら前方に注意を向けて歩みを進める。そして、前方から人の姿を目視すると「えっ」と小さな声をあげた。

「君…こんな時間にどうしたんだい?」
「…いや…どこから突っ込めばいいのか」

 前方から現れたのは、教科書でしか見たことのないような、立派な鎧を身にまとった男だった。腰には剣と思しきものを携えている。今にも沈みそうな夕日は、男の金髪をキラキラと輝かせていた。
 カラーコンタクトなのか、赤い瞳に見つめられ、名前は男を「気合の入ったコスプレイヤー」と認識した。

 一方、男はこんな所に不思議な格好をした若い女がいることに、大層驚いている様子だ。「こんな時間に」という言葉には、若干の怒気が含まれている。

「現在、この周辺はオークの目撃例が出ていて警報が出ているはずだ。こんな時間に武器も持たず、防具も装備せず出歩くなんて、危険すぎる」
「…お兄さん、随分気合の入ったコスプレしてるんだね。ここの雑木林って、そういう人が集まるの?」

 男は名前の言葉の意味がわからないといった様子で、整った眉を釣り上げながら言葉を続けた。

「俺はれっきとしたプロンテラ騎士団の騎士だ! 君、これからプロンテラへ帰るところか?」
「この雑木林の先は方角的に商店街の外れに出るはずだけどね…」

 会話が噛み合わず、男は若干居だ立っている様子だ。

「商店街? とんでもない。今、俺が来た道を行ってもただ林が広がるだけ…そして、これより先はオークの目撃例が出ている地区。君みたいな丸腰の女の子がいていい場所じゃない」
「はあ…」
「…ため息を吐きたいのはこっちだよ…、でも、怒っていても仕方がない。君が俺が保護しよう。大丈夫、騎士の誇りにかけて君を必ずプロンテラまで送り届けるから」
「いや、大丈夫です。家すぐそこだから、それじゃ」
「え…あ、待って!」

 男の制止を無視して、名前は歩き出した。暇つぶしにと入った雑木林だったが、どうやらここは本格的なコスプレイヤーの集まる所らしい。思わぬ収穫だったな、と名前はそれなりの満足感を得た。あそこまで完成度が高く、騎士になりきった男というものが見れたのだ。遠回りをして帰った甲斐があるというものだろう。

 しかし…─

 雑木林の規模を考えれば、そろそろ出口に到着してもいいはずだ。それなのにどうしたことか、歩けど歩けど出口が見えてこない。
 スマートフォンのライトで足元を照らしながら歩いているため、道や方角を間違えている、或いは同じところをぐるぐる回っているという可能性は低い。
 ましてや、ここはコンパスが狂うとか、出られなくなるとかいう、曰く付きの富士の樹海ではないのだ。地元にある、ただの小さな雑木林。不思議な力など、あるはずもない。
 だが…、もしそうだとしたら面白い。名前はそう考えた。

 その時、前方の草木が突然ガサガサ! と大きな音を立て、思わず名前の肩が跳ねた。
 慌ててライトを照らすと、そこには…

「えっ、何あれ?!」

 フゥゥと深く息を吐きながら、こちらを凝視する緑の肌をした化け物が立っていた。
 唇は真っ赤で、下唇から上唇にかけては大きな牙が生えている。手には大きな包丁を持っており、まるで獲物を物色しているように見える。
 逃げなければ。
 そう考えるより早く、名前は踵を返し走り出していた。

「な、な、何あれ何あれ!!」

 命の危機に瀕してなお、名前は初めて見る生き物、それも化け物の類の存在に興奮を隠せずにいた。

「はあ、はあ、やばい、息切れてきた…ぜえ、はあ…」

 日頃から運動は行っておらず、体を動かすと言えば学校の体育の時間程度の名前は既に息も絶え絶えだ。走る速度を緩めながら、どうしたものかと考えていると、突如ガシリと腕を掴まれた。

(あ、終わった)

 ギュッと強く目を閉じ、衝撃に備えた。
 あの包丁で体を切り刻まれるのか? そしてあの化け物に食べられるのだろうか?
 絶体絶命の状態になっても、名前の好奇心は止まらない。

「君! ライトを消して」
「え…っ、あ」
「早く!」

 目を開けると、先程の鎧の男が名前の身を守るようにその身を抱きしめていることに気付く。男がもう一度「早く!」と鬼気迫る様子で言うと、名前は慌ててライトをオフにした。

「家はすぐそこだと言ってたじゃないか! …まあ、本当だとは思っていなかったけど」
「嘘っていうか…、なんかこの林から出られなくて…これどういうこと? テレビの撮影?」
「テレビ? …なんのことか、ちょっと俺には。とにかく、オークレディが一人…」
「お兄さん、あれ倒せるの?」

 少し不安そうな名前を、男は安心させたかった。ああ、勿論だ、と。しかし現実は甘くはない。

「一人なら、なんとか。でもオークは群れで行動する種族なんだ。あのオークレディが複数のオークを引き連れている可能性が高い。となると、俺一人では…ここはなんとかやり過ごしたほうが得策かな。それから仲間と合流しよう。大丈夫、そんなに遠くない場所に俺たちのキャンプがあるから」
「…よくわからないけど、仲間ってお兄さんと同じコスプレの…」
「シッ!」

 男が手で名前の口元を覆う。草むらの向こうで、ハァハァという荒い息遣いが聞こえた。
 名前は息と気配を殺しながら、男と共に様子を窺う。男の緊張しているのか、名前を抱く腕に力が入っていく。心臓の鼓動音で察知されないかという不安が二人を襲い、時の流れがとても遅く感じられた。
 オークレディと呼ばれた化け物は、四方八方を見渡すと、名前たちとは逆の方向へ向かって姿を消す。

「ふう…」
「はあ……」

 安堵の息を、名前と男が同時に漏らした。

「ねえ」
「うん?」
「痛い」

 名前が男の顔を見上げる。男が視線を落とすと、自分と名前の顔と顔の距離が近いことに気付き、恥ずかしいのだろう、頬を紅潮させてパッと名前の体を離した。

「わ、悪い」
「…私、名前苗字名前っていうの。お兄さんは?」
「俺? 俺はノルン=ハイネだ。とにかくここは危ないから、自己紹介も後。仲間の元へ行こう」

 有無を言わさず、ノルンは名前の手を引いて歩き出す。
 この頃には、名前も暗闇に目が慣れたお陰で、スマートフォンのライトなしでも周りの景色を見ることが出来た。

「おにい…、ノルンさん」
「……」
「ねえってば」
「…静かにしたほうがいい。けど、名前が不安なのもわかる。だから一応聞くよ」
「ここって、日本?」

 ノルンが怪訝そうに名前を見る。

「ニッポン…? ここはルーンミッドガルドのプロンテラの近くだね。通常オークはゲフェンの森の方にいるんだけど…、最近、モンスターが凶暴化してるから、きっと人間を襲いにプロンテラの近くまで来たんだろう」
「……」

 それ以降、ノルンが口を開くことはなかった。それに倣ったわけではないが、名前も沈黙を守った。
 やがて前方から複数の人の気配を感じると、ノルンはやっと口を開き「もうすぐだ」と告げる。その表情は柔らかなものだった。

「あ、ノルンさん!」

 一人の少年がノルンに気付き顔を上げる。少年も、ノルンほど立派なものではないが鎧を身にまとっている。優しげな表情で、少し気弱そうな印象を受ける少年だ。
 少年につられて、その場に居た他の面々も顔を上げた。

「偵察に行ってかなり時間が経ったので心配していたんですよ! あ…、えっと、その女性は?」
「彼女は苗字名前っていうらしいんだけど…ちょっと問題があるみたいなんだ」
「問題?」

 気づけば、少年の後ろに同じく鎧を纏った女が立っている。
 女は細い眉をしかめて、名前に強い口調で矢継ぎ早に質問する。

「ちょっとあなた! 今、この辺りはオークの目撃例が出ていて、プロンテラ騎士団が調査を行ってること、知らないわけじゃないでしょ? 武器も持たずに丸腰でどうするつもり? もしオークに襲われたらとか考えなかったの?」
「もう襲われたよ、オークレディとかいうやつに」
「なんですって…?! ノルン、あなたが彼女を保護したのね」
「ああ、まあ。…ライナ、ニッポンって知ってるか?」

 突然ノルンに問われた女─名をライナというらしい─は、キョトンとしたあと、首を傾げた。

「ニッポン…? 知らないけど、それがどうしたの?」
名前がここはニッポンかって聞くんだ。服装もこの辺りでは見かけない。見た目というか、雰囲気も俺たちとは少し違う…そんな感じがしないか?」
「まあ…独特な雰囲気はあるけど…、それとこれとは関係ないんじゃないの?」
名前…、君の家はどこだ? プロンテラ? ゲフェン? 怒ったりしないから、説明して欲しい」

 全員の視線が名前に集まる。居心地の悪さを感じながら、名前はぽつりぽつりと状況を説明しだした。

「私、学校の帰りに雑木林があって、いつもは通らないんだけど通ってみようと思って入ったの。途中でノルンとすれ違って、でもそういう趣味の人なんだなって思っただけで。もうすぐ日も落ちそうだったから、暗くなる前に雑木林を抜けようと歩いてたんだけど…いくら歩いても出口に到着しなかった。そんなに大きな雑木林ではないんだけど…。それで、スマホのライトで辺りを照らして歩いてたら、そのオークレディとかいうやつに遭遇して」
「スマホ?」
「うん。スマートフォン」

 そう言いながら、名前はポケットのスマートフォンを取り出した。

「あ、そうだ! これで親に連絡すればいいんだった。ちょっと待って」

 名前はスマートフォンのロックを解除して、画面を見た。なぜ、今まで電話をするという簡単な解決策を忘れていたのだろうか。
 自らの間抜けっぷりに呆れながら、けれども解決策が見つかったことに安堵した。
 が…、スマートフォンは無情にも「圏外」の文字が表示されているだけだった。

「…駄目、みたい」
「…? よくわからないけど、それが何なの?」

 説明をしても恐らく理解は無理だろうと思い、名前は「なんでもない」と説明を省いた。

「とりあえずプロンテラまで連れていけばいいでしょうね。そこで騎士団長に相談して、名前を家まで送り届けましょう」
「それは俺がやろう。名前と約束したから」
「…誰が送るかは、その時に相談したらいいんじゃない? 一旦、オークの調査は中止しましょう。明日、名前をプロンテラまで送ってから、またここへ戻って調査開始ね」

 ライナの意見に皆賛同し、ひとまず今日は休むことになった。
 簡易的に作られたテントに案内されると、名前はペラペラの毛布に包まる。テントの中も外も、格段に寒いわけではないため、薄い毛布でも夜は過ごせるだろう。

 何より、何か自分におかしな事が起きている、という事に名前は興奮を隠せずにいた。明日は一体何が起こるのだろうか。きっと、今まで体験したことのない何かが起こるに違いない。

「…ふふ!!」

 毛布に顔をうずめ、名前は笑みを零した。

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